Karly_i’s blog

Do you know POTS?

#5 久しぶりの学校🏫❕

10月くらいに数ヶ月ぶりに学校に行った時がありました。

 

その時の学校の先生や、友達の反応といったら……

 

まず、朝友達に会うと 人だかりができて360°友達で溢れかえりました。

みんなの第一声はだいたい「久しぶり!」「会いたかった!」「肌白くなった!」でした笑

夏は日焼け止めを塗ることを疎かにしていたので

結構真っ黒になっていたし、友達はそれに見慣れていたのでしょう。すっごくびっくりされました。

寝たきりだったので全く外に出ておらず、紫外線を浴びない生活をしていた事と、ちょうどその時使っていた化粧水が「白潤」という美白化粧水だった事から余計拍車がかかって真っ白になったのだと思います。

白潤すごいなって思いました。

 

友達はほんとに喜んでくれて、叫んだり?泣いたり?飛びつかれたり?様々な攻撃を受けましたが、

すっっっごく嬉しかったです…🥺👏

本当に周りに恵まれているなぁと思いました。

 

先生はと言うと、友達ほどハイテンションではなかったけど、急に学校に行ったのでびっくりされました笑

 

放課後担任に職員室に呼び出された時に

学年の先生全員と会ったのですが、

ある先生は顎外れるくらいびっくりして、ある先生は手振ってくれて、ある先生はニヤニヤ?してて笑

 

でも最初職員室のドアを開けた時に何故か担任がドア全開にして注目を私に向けようとしたのでめっちゃ目立ちました最悪でした。

 

 

とにかく周りがあたたかすぎて感動しました。

いくら学校でも久しぶりに行く時は緊張してしまうし、不安です。でもいつも自分の周りの人は久しぶりに会ったとは思えないくらいいつもどうりに接してくれます。

だから自分ももし学校で誰かを待つ立場になった時には温かく迎えてあげたいなと思いました。

#4 FJKの文化祭どこいった❓

私は全日制の普通科の高校に行っています。

 

この病気はコロナの感染によるものということで出席停止の扱いで、在学できています。

でもいつ退学になってもおかしくないのでちょっとドキドキしながら課題など頑張ってます😥

 

私は今年の文化祭に参加できませんでした。

先生に口説かれて(?)本部もやっていたのに。

先生方や同じ本部の子達の仕事量増やしてしまって申し訳ないなと思いました。

それと同時に、自分も本部の仕事全力でやりたかったから、悔しかったです。

 

少しだけでも当日行けるように頑張っていたのですが、今考えるとあの時が1番体調悪くて、とても無理な話でした。

 

学校行事、すごく大好きで、写真撮ったり、グッズ作ったり…っていう所に重きを置く人もいると思うけど、自分は行事そのもの(スポーツ系の行事だったら、他学年と戦ったり、文化祭だったら友達といつもと違う学校を楽しめたり!)にすごく魅力を感じていて、それが良くて今の高校に入ったくらいです。

 

だから文化祭の時期、自衛のためにインスタを見ないようにしていました。見たら絶対悲しくなるし、

病んでいく一方だから。

他にも、文化祭本部、クラス、友達のグループLINEや、classroomなど全部通知切って目に入らないようにしていました。

おかげで今でも文化祭の様子ほぼ全くと言っていいほど知らないし、自分のクラスの様子も何もかも分かりません。

 

私は今年の球技大会と体育祭も同じような事になりそうで不安です🙄笑

 

そのあとしばらくして、文化祭担当の先生が私宛にメッセージを送ってくれて、もし見たいと思うようだったらCM(各クラスでPRで作る動画)見なよ!って言ってくれました。

メッセージが送られてきたタイミング、優しい文章を見た時、その先生には私の文化祭への悔しさと沈んだ気持ちがお見通しだなと思いました。

(本当のことは分からないけど)

 

来年の文化祭が参加出来たら誰よりもまっすぐ楽しみたいなって思いました💫

#3 心の健康も大事ですから❕

体位性頻脈症候群という病気には「抑うつ」という症状があります。

 

鬱っぽくなっちゃうことです。

全員が必ず出るという訳では無いのですが、

私はこれが症状に出ました。

 

初めて出て、いちばん酷かった時が9月。

夜になると闇に葬られた感じがして、周りに誰もいない感じがしました。

感じたことのない、初めての感覚で動揺しました。

その時期、母と一緒に寝ていたのですが母が私より早く寝ちゃうとすごく不安になって、涙が止まらなくて、とっても怖かったです。そういう時はだいたい「明日が来ない感覚」というのを感じます。

このまま苦しくも痛くもなく、急にブチってテレビが切れるみたいに人生が終わる感じがしました。

本当に!

そんなことも体験したことがなかった私は毎晩夜が怖かったです。

それが1週間ほど続きました。

 

受診すると、抑うつの症状が出てるのかもねと言われ、精神安定薬をもらいました。

でも、そんなにきつくなく、気持ちが少し軽くなる

優しく効く種類の薬をくれました。

それをもらって縋るものができた気がして嬉しかったです。

でも自分が精神安定薬のお世話になるなんて思っていなかったし、もはや自分が誰かの精神安定薬⁉️なんて浮かれたことを思っていたくらいなのでびっくりびっくり🙄


いちばん酷かったのは9月だけど、今でもその症状は続いていて、たまーになります。

 

10月の夜は少し肌寒いのに、外の空気を吸おうと外に出ても、放心状態で1時間くらいポロポロ泣く日もありました笑

 

今も夜、突如そういったことがあるので薬は切らさないようにして、すぐ飲むようにしています。

 

自分はどんなに体が言うことを聞かなかったり、痛かったりする時よりも、抑うつの症状が出る事が嫌で仕方が無いので、家にこもりきりにならないように調整しています。


どんなにその日の昼に楽しいこと、嬉しいことがあっても夜になるとスイッチが切り替わったみたいに抑うつモードになるのでどうにも出来ないことも多いけど…😥


泣いてしまうと次の日倦怠感と頭痛がすっごく重くなってしまうけど泣ける時に沢山泣いて(泣きたくないけど笑)抑うつ明けは好きなことするようにしてるよ❗️

 

自分の機嫌は自分で取る!

 

#2 自分を大切にしてくれる人だけを大切に❗️

「後遺症」という診断を受けてから体位性頻脈症候群だとわかるまでに、3ヶ月の時間を要しました。

3ヶ月というのは本当に長くて辛い日々でした。

 

そもそも後遺症なんて言葉がメジャーでもなく、

自分も初めて聞いたほどで、多くの人の関心はそこにありませんでした。

だから後遺症と診断されたはじめ、周囲の人から様々な意見を受けました。

「学校で嫌なことがあって行きたくないだけなのではないか」「夜更かしをしているからではないか」

「ただ怠けているだけではないか」と憶測でしかない言葉を受け取っても私は気にしないことなどできませんでした。

私は患者本人ではあるけれど、医療的な部分で的確な説明ができない。そして、自分自身も当時の私を受け入れられていない。

 

また、お医者さんからの後遺症の診断もあくまで

コロナの感染の時期と症状によって後遺症なのではないかという、数字などを用いた根拠はない診断でした。だから自分も自分の周りの人もモヤモヤとした状態だったのでしょう。

 

患者さんの周りにいる人は本人の苦しさを完全に理解する事はできないと思います。どんなに近くにいても。

でも理解できないなりの言葉のかけ方ってあるなぁと感じます。寄り添えって言ってるわけじゃないです。否定的な意見を持っててもそれは個人の自由。ただ、確かな情報ではない、自分の考えでしかない意見を安易に本人にぶつけるのは絶対に良くない!本当に苦しいから、、体を回復させる前に心が折れてしまう。

でももし、少しでもその人のことを心配して、元気になって欲しいと感じているなら優しい声をかけてあげてください。

私はたくさんのお友達に暖かい言葉をかけてもらい、毎回涙が出るほど嬉しかったです。

みんなありがとうだよ❗️🩷

 

 

弱った人にどんな言動、態度を取るかでその人の本質が見える気がしました。

実際信頼してた人にさりげなく冗談混じりに

「気合い足りないんじゃね?」「なーんだ、元気そうじゃん」なんて言われた時には本当にショックでした。でもそれがその人の本質なんだなぁと感じました。必ずしもその一面だけで判断はできないですけどね。

 

冗談でも本当にダメです。

というか冗談こそダメです。

 

 

自分を大切にしてくれる人だけに周りにいてもらう事が大事😌💙

#1 絶望しか感じなかった8月

私は8月の頭に新型コロナウィルスに感染しました。

 

1年間で1番毎年楽しみにしているキャンプで発症しました。私が持ち込みました。3泊4日のキャンプだったけど、一緒に行ってた人達も感染してたらクラスターになる危険があったので1泊で切り上げになりました。出発の前に異変に気づいて自分だけ行かなければ他の人の思い出を潰すことがなかったのに。と考えると本当に苦しかった。

 

隔離期間中もその申し訳なさで体よりも心が苦しかったです。

 

そうしているうちに隔離期間が明けました。でも、1週間経っても倦怠感が抜けず、内科を受診しました。血液検査をしても異変はありませんでした。でもお医者さんに「続くようだったら後遺症外来に行ってみて」と言われました。そこで初めて後遺症という存在と、その可能性を認識しました。

 

その数日後、体調はモヤモヤしている中、オープンキャンパスに行く予定があり、最寄りの駅に行きました。急な腹痛で冷や汗とめまいが止まらず、電車を目の前にして気を失いました。幸いなことに看護師である母が同伴していたので私を寝かせて、応急処置をしてくれました。

私の顔が真っ白で、さすがに焦った、救急車呼ぼうかと思ったと母に後々言われました。意識そぞろな私を見ても慌てて救急車を呼ばず、出来ることをするあたりがさすが看護師だなと感じさせられました。

 

こんなことがあって私は 自分は後遺症なんだな、感染前の体ではないんだな と確信しました。そして自分の体のことよりオープンキャンパスに行けなかったことの方が残念に感じ、それも私らしいなぁと思いました。

 

私はその後、後遺症外来を受診しました。やはり、診断は「ウィルス感染による後遺症」でした。

 

 

#0 私って何者❗️❓

私は体位性頻脈症候群という自律神経障害と闘っています。

POTSとも言います。

 

今日思い立って今日初めてみました。

基本三日坊主なので続くかは分かりません。

日本人なのに拙い日本語しか話せないJKのお話を聞いてくれると嬉しいです。

 

「ブログ」というものと全くと言っていいほど縁のない私がなぜ始めたのかを説明しますネ。

また別の投稿でお伝えするつもりですが、かれこれ約半年この病気と闘ってきてたくさん傷ついてたくさん強くなったこの時間を無駄にしたくなくて周囲の人間だけでなく、同じような病気で闘っている人、もしくは身近にそういった人がいる人に届いてほしいと思ったからです。そう思ったはじめ、私は本を書きたかったのです。闘病記的な。

元々本を書くことには少しだけ興味があり、文章や文字、国語が大好きで小さな頃に本を読んでレッスンを受ける習い事をしていたほどです。(理系選択ですが🤣)だから本を書きたかったのですが本っていうのは出版までにコストや時間、労力が凄まじく、なんでも頑張りたくなっちゃう自分にはスケールが大きすぎるなと思いました。

でもブログなら機械強めな私に出来るかも、今の時代、多くの人に見てもらえるのでは?と

ひらめきました💡

 

始めはインスタやTikTokでやってみようかななどと考えていました。でも、なんだか若い人にしか見ていただけないような気がして、どの年代の人にも届いてほしい事からブログを始めることにしました。

 

私はこのプラットホームを通して自分自身の記録にしたいとともに、「私」ではなく、私が闘った(闘っている)「病気」について多くの人の理解や関心が得られますように。願っています。